西湖3つのラブストーリー

 

【許仙と白娘子】

このような古い話がある。千年以上生きた白蛇の精・白娘子は人間の往む世界に憧れ、青蛇の精・青児と共に人間に姿を変えた。杭州の西湖の辺で遊んでいた時、雨に会った。傘を借りようとして「断橋」という橋まで来た時、一人の青年・許仙と出会った。白娘子と許仙はお互いに好意を抱き、間もなく結婚した。その後、鎖江へ引越し、そこで薬屋を営んでいた。幸せな生活を送っているところへ、法海という高憎がやってきた。そして許仙に何度も、白娘子と青児が蛇の精であり、いつかは許仙の命を奪うであろうと告げた。その話に心が揺らいだ許仙は、端午の節句に「雄黄酒」というお酒をむりやり白娘子に飲ませてしまった。すると、白蛇の変化の術が解けてしまった。彼女の本当の姿を見た詩仙は、ショツクでに死んでしまった。

愛する夫を生き返らせるために、白娘子は自らの危険も顧みず、峨媚山に入り仙草を盗んで来た。蘇った許仙は、法海に金山寺という寺院に閉じ込められてしまい、白娘子に会うことが許されなかった。許仙を助けるために白娘子は、青児と一緒に法海と法術で対決し西湖の水を引いて金山寺を水浸しにすることもいとわなかった。しかし、妊娠していた白娘子は体が持たず負けてしまった。許仙は金山寺を抜け出し、杭州に逃げ帰り、白娘子と断橋で再会した。

法海は仏様の力を借り、白娘子を雷峰塔という塔の下に閉じ込めた。逃げていた青児は修行を積み、また金山に戻り、法海を打ち負かした。雷峰塔を押し倒し、白娘子を助けた。負けた法海は逃げ場を失い、身に付けていた黄色い僧衣と共に蟹の体内に隠れた。許仙夫婦は、やっと一緒に暮らすことができた。しかし法海は、蟹の体内に隠れているより他に方法がなかった。そのため、今でも蟹の味噌の色は、お坊さんの僧衣の色と同じ黄色なのである

【蘇小小の愛と悲しみ】
蘇小小の先祖は、かつて東晋の官吏であり、後に、蘇家は落ちぶれて銭塘に移った。
先祖から受け緒いだ財産で商売し、そこの裕福な商人となった。蘇家には女の子蘇小小ひとりしかおらず、両親から非常に可愛がられていた。体が弱々しくて小さいので、小小という名前を付けられた。蘇小小が十五歳の時、両親が亡くなった。仕方なく財産を換金して、乳母賈氏と一緒に城の西にある西冷橋のほとりに引越した。

彼女たちは松柏の林の中にある小さな別荘に住み、貯金で生活を維持し、美しい自然の中で楽しく日々を送っていた。少年たちは彼女の美しさに心を惹かれ、いつも彼女の馬車の周りにたむろしていた。両親からの束縛もなく、蘇小小は文人たちとの付き合いを楽しみ、自宅ではいつも詩の会を開いたりしていた。家の前は、いつも馬車や人で賑わい、蘇小小は銭塘の名妓になった。

ある日、蘇小小が外で遊んでいた時、一人のハンサムな青年・阮籍と出会った。二人は一目惚れとなり、阮籍は蘇小小の家を訪ね、その夜、彼女と一夜を明かした。その後二人は、一刻も離れることがなかった。毎日、景勝地に遊ぶというふうであった。しかし阮籍の父は、息子が銭塘の名妓といい加減に過ごしているという話を聞いて大いに腹立ち、彼を無理に巡業に帰らせた。蘇小小は、毎日愛人の帰りを待ったが、阮籍が戻ってくることはなかった。結局、蘇小小は病気で倒れてしまった。幸い蘇小小は、かたくなな性格の人ではなかった。また他の魅力的な若者が訪ねて来たこともあって、だんだん元のにぎやかな生活に戻った。

ある晴れた秋の日、湖のほとりで、彼女は阮籍と大変よく似た男性に出会った。身なりが質素で、表情はと見れば、すっかり気落ちしている。名を尋ねてみると鮑仁という。科挙の試験を受けるため都に赴こうとしたが、旅費が足りなくなったらしい。蘇小小は、この人が気位の高い人であり、必ず受かると思って鮑仁に旅費を与えた。鮑仁は大いに感動し再び大望雄志を胸に都に向かった。

当時、上江観察使の孟浪は、公用で銭塘に来ていた。官吏である身分で蘇小小の家を訪ねるのは不便なので、自宅に蘇小小を招待しようと何度も誘った結果、やっと彼女を迎えることができた。孟浪は意地悪をしようとして、庭の一本の梅を指し彼女に詩を吟じさせた。蘇小小はゆっくりと「梅花虫傲骨、怎敢敵春寒?若更分紅白、環須青眼看!」と吟じた。孟浪は敬服した。

ところが、美人には薄命が多い。蘇小小はその次の春、病気で亡くなった。ちょうどその時、鮑仁はすでに殿試に合格しており、滑州の長官に任命された。赴任の途中、蘇小小の所に立ち寄ったが、彼女の葬式には間に合った。鮑仁は、棺おけのわきで大声で位いた。そして彼女の墓の前に「銭塘蘇小小の墓」という碑を立てた。 

【梁山伯と祝英台】
時は東晋。浙江省上虞県祝家荘に祝員外という人がいた。祝員外には祝英台という一人の娘があった。祝英台は美しくて賢く、小さい時から兄に詩文を学んでいた。班昭や蔡文姫の才能と学問に憧れていて、室には良い教師がいないので、彼女は杭州へ勉強に行こうと思っていた。しかし、祝員外は娘の願いを聞き入れなかった。祝英台の向学心は強く、彼女は占い師に変装して父親である祝員外に「占いの結果によると、お嬢様を出してやった方がよい」と言った。祝英台の男装姿には寸分のスキがなく、また、英台を失望させるに忍びなかった祝員外は、やむなく娘の願いを聞き入れることにした。

祝英台は男装で杭州にある書院へ通うことになった。途中、彼女は梁山伯という青年に出会った。梁山伯は今稽(現在の浙江省紹興市)の出身で、英台と同じく杭州へ勉強に行こうとしていた。二人は初対面なのに、古くからの知り合いのように意気投合し草橋亭で、義兄弟の契りを結んだ。

その後、二人は杭州の万松書院に入った。勉強はいつも一緒で、まるで影と形のように離れない。このような生活が三年続き、二人の仲は非常に良くなった。祝台は山伯を深く愛しているけれど、英台が女であることに気付かなかった山伯は、彼女の気持ちが分からなかった。

英台の父親は娘を恋しがり、帰郷するよう催促した。そこで英台は、急いで古里に帰ることにした。山伯と別れを借しんでいる十八里の道で、英台は何度も自分が女であることを悟らせようと試みたが、勉強は良くできるのに、鈍感な山畑はそのことに気付かなかった。しかたなく英台は、実家には自分の容貌とそっくりの妹がおり、山伯のお嫁さんにしてあげたいと彼に約束した。しかし梁山伯の家は貧しく、約束の期日どおりに英台の家に迎えに行くことができなかった。

やっと祝家に結婚を申し込みに行ったが、時すでに遅く、祝英台は貿城(現在の浙江省鄞県)の有力者の息子・馬文才と結婚することが決まった。山伯と英台の約束は、はかなく消えてしまった。二人は高楼で会い、涙を流し、悲嘆にくれて別れた。そして、生きている内には結婚できなかったが、あの世で同じ墓に入ろうと誓った。

梁山伯は朝廷から鄞県(現在の浙江省奉化県)の知事に任命された。しかし梁山伯は失意の内に死んでしまった。遺体は貿城九龍墟に埋葬するようにとの遺言を残した。英白はこの訃報を聞き、山伯の後についていこうと決心した。

結婚式当日、英白は自分の乗る籠が山伯の墓の前まで来ると、突然籠から飛び降り、墓の前で泣き崩れた。すると、突風と雷雨が荒れ狂い、激しい地響きとともに墓の入り口が開いた。
英台は迷わずそこへ身を投じると、墓の入り口は閉まり、突風も雨も地響きも止んだ。空には虹もかかり、まるで何事もなかったかのように元の状態に戻った。しばらくすると、山伯の墓から2匹の蝶が舞い上がった。